
天保六年(1835年)乙未 久教公 御年三十六歳
一、六月 二日、御前様御中屋敷ヨリ御引移遊ハサル
一、 十三日、御上屋敷御舞台披キ、御自身御能遊サル
一、 十六日、嘉祥御菓子御頂戴
一、 二十七日、暑中御献上例ノ如シ
一、七月 九日、御新宅御内祝有之
一、閏七月六日・同二十一日、岡大風雨洪水、所々破損
一、八月 朔日、御献上例ノ如シ
一、 二十六日、此度歩方御倍増仰セ出サル
※御前様 前の藩主久貴公の正室満姫。
現藩主久教公の正室絢姫の母親。
前の藩主の奥方が御年譜に度々記載されるのは、
これまでにないことです。いつまでも、岡藩に相当な
影響力を持っていたのでしょう。
※閏七月六日・同二十一日、岡(藩)大風雨洪水
記録ニ、10月6日(幕府へ)御届差出さる
私領分豊後国岡先達に御届申上置候通、
閏7月5日夜中より翌6日迄風烈、大雨洪水、
其後暫快晴之処、同17日以来雨天勝、同20日夜に入暴雨、
翌21日暁頃より同日夕迄大風雨洪水に相成、
城内其外侍屋敷並びに在町所々破損之・・。とあります。
※歩方(ぶかた)御倍増 借金の金利を上げた
藩経済が苦しいため、藩士から借り上げていた米を4年続き
の天災のため、利子を付けて返せなくなったので、返す時は
利子を上げて返す。という意味と思われます。
※江戸藩邸の表門、玄関、能舞台、新宅建築と4年続きの不作。
岡藩の借金は増え続けたでしょう。
