明治四年(1871年)辛未 久成公 御年二十二歳
(附箋)「御本文十四御席等人々混雑致シ居候ニ付、
左ノ通御改相成度
一、七月十四日、御用之儀被為在候ニ付、
東京詰合之権大参事宗重計為御名代参朝候様、
太政官ヨリ御達ニ付、則同人参朝ノ処、
諸藩ノ名代一同列座、天皇出 御、
右大臣三条実美殿左ノ 詔書捧読畢テ入御、
引続其席ニテ式部頭坊城俊政殿ヨリ藩知事
御免職ノ御辞令書御渡相成ル
※太政官からの御用で、東京に岡藩の連絡係として詰め
ている、宗重計権大参事が久成知事の名代として出席
したところ、諸藩の名代が列席しているところに、
天皇がおいでになった。
右大臣三条実美殿が左の詔書(次回紹介)を奉読
天皇が内にお入りになり、続いて式部頭坊城俊政殿
より藩知事(久成公)免職の辞令を渡された。
※「ひろちゃん」さんから、9月24日のブログ
高山左膳 高山右膳200石のことでしょうか?
について、下記のようにメールをもらいました。
「高山左膳とは、久貴公長子、久利君の長子だと思います。
(前名栄太郎、諱、重博)」
ありがとうございました。
※久利君 10藩主久貴公の長男、幼名三千蔵
久貴公の正室満姫が生んだ絢姫に、井伊家から久教公を
養子に迎え11代藩主にしたため、久利君は部屋住みで
生涯を終えます。

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