明治二年(1869年)己巳 久成公 御年二十歳
一、(9月)二十二日、天長節ニ付、御参賀御献上、
御太刀代金二千疋、御酒饌御頂戴
一、二十三日、召二依テ御参朝ノ処、
久昭公御願ノ通御隠居、
公へ御家督御相続仰セ蒙ラル、
御書附左ノ如シ
可
従五位源朝臣久成
父久昭致仕使汝襲其秩
右大臣従一位藤原朝臣実美宣
右大弁従三位藤原朝臣俊政奉行
明治二年己巳九月二十三日
(附箋)「殿様御願之通、御隠居御家督共々可然歟」
※御年譜に記載されてない事項
9月14日、兵部省の命令で、函館戦争で降伏した
榎本武揚の兵、5人を岡藩で預かっています。
〇戊辰の戦 函館表の降伏兵預り
岡 藩
別紙ノ者共於函館表、官軍に抗敵候処、今般降伏候聞、
其ノ藩へ預ケ申付候故、国元ニ引取り禁錮為致置可申事、
但シ、禁錮中タリト雖、見込ヲ以テ使役等可為勝手候事。
別紙ニテ 矢口 謙斉 飯島 善蔵
朝倉 隼之助 長田 金吾 星野 唯八 以上五人
※5人は、岡城小普請小屋に入れられ監視されていましたが
翌3年3月、矢口、飯島の2名は御免となり静岡藩へ、
長田金吾、星野唯八は禁錮を解かれ、使役。その後不明。
朝倉隼之助は病死したようです。

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