岡城24
久成公 髷(まげ)を切る 初めて天機お伺い

明治元年(1868年)戊辰  久成公 御年十九歳

一、十二月七日、御総髪ニナラセラル

明治二年(1869年)己巳  久成公 御年二十歳

一、正月十五日、初テ天機御窺トシ(ママ)

岡城御発駕、

十六日、三佐御着、

   十九日、同所ヨリ御乗船

一、二十三日、大坂御着

一、二十六日、京都御着

一、二十八日、初テ御参朝、

天機御窺済セラレ、

御番御筆頭松平讃岐守頼聰殿ヨリ

御番入御願ノ通、仰セ蒙ラル

※松平頼聰(よりとし)讃岐高松藩11代(最後の)藩主

※昨日の勝海舟日記の続編

○17日 野津原に宿す。五里、山の麓にて、人家可ならず、

八幡川あり。大抵一里半ばかり、川堤に沿うて路あり。

  海道(街道)広く、田畑厚肥、桃、菜花盛、関東の三月頃

の気節なり。

  民のかまどゆたけきものをしらぬいのつくし生てう

野津原の里

 ○ 野津原の宿より出ずれば、山路。

この道、久住山を左に見る。

  往時、この宿の村長三輔なる者、山中より水源を引き、

三渠を引く。これより古田20余町、新田30余町を得た

りと、その事業を記し碑あり。 七里。   

○18日 久住に宿る。細川侯の旅亭。惣体、葺屋、素朴、

花美の風なく、庭中泉を引き、末、田野に流る。

  七里地は、久住の山脚にして、殆ど高崇、地味可なり。

山泉を引きて左右に導く。

※三輔  工藤三助 元禄11年(1698)から享保9年(1724)に

かけて大龍井路(おおたついろ)、かぎ(金偏に侖)小野井路

(かぎおのいろ)、堤子井路(ひさごいろ)の3井路を掘削。