岡城c78
軍資金5万円 岡藩の疲弊 上納御免の嘆願

慶応4年(1868年)戊辰 久昭公 御年四十九歳

一、(7月)十七日、左ノ御歎願書、事務官へ差出サル

 私儀、兵隊出張之儀ニ付、不行届之筋有之候ニ付、

 軍資金五万円差出候様被 仰付、恐懼之至探心配仕候、

然ル処、先年より猿ケ辻御固、

且又兵庫御警衛六ケ年程打続相勤、莫大之物入相嵩、

殊ニ前年城下九分通茂焼失、旁以国力及疲弊、

家中扶助茂不行届之次第ニ陥り候折柄、

今般被 仰出之金高、迚茂上納出来仕兼候上、

過日差出之兵隊御差戻相成候而者、於武門何分赤面之至、

心痛当惑仕候、依之兵隊之儀者、

此上人数精々相増可差出候間、軍資金上納之儀者、

前段疲弊之廉、乍恐御無憐被成下何卒蒙 御免候様、

只管奉歎願候、以上

       七月十七日   中川修理太夫

※駿府城御警衛の兵隊派遣が遅れ、5万円の軍資金を

  申し付けられ恐懼の至りです。しかし、岡藩は

  猿ケ辻御固、兵庫御警衛6ケ年で莫大な出費、

  元治元年(1864年)5月、岡城下9分通りも焼失、

  藩が疲弊、家臣の扶持米も行き届かなくなっている。

  そこに、今度の軍資金5万円、とても上納出来かねます。

  先日の、兵隊を帰藩させられたことは、中川家にとって

  武門の恥で赤面の至り、心痛当惑しています。

  兵隊をこれまで以上に朝廷に差し出しますので、

  軍資金の上納については、恐れながら岡藩の疲弊を

哀れと思召して御免くださるように、

只々、嘆願致します。