慶応4年(1868年)戊辰 久昭公 御年四十九歳
一、(6月)二十三日、岡城御発駕
一、日闕 駿府城御警衛ノ兵隊四十二人着京ノ旨、
軍務官へ御届書差出サル
一、七月四日、京都御着、直ニ御参内、
御退出ヨリ大宮御所へ御参、御機嫌御伺ノ上、
御旅寓本禅寺へ御着
一、九日、軍務官ヨリ左ノ通仰セ蒙ラル
中川修理太夫
此頃上京候四十二人兵隊、御用無之候間、
帰藩申付候、
仍而者当今之時節篤与相弁、為軍資金五万円、
早々当官へ上納可致之旨御沙汰候事
※軍務官の指示 重ねての無理な要求
この頃上京の岡藩の兵隊42名、もう用がなくなった
ので岡に帰るように申し付けられる。
かさねて、当今の時勢を長々と話し、その結論として
岡藩は軍資金5万円をすぐに軍務官に差し出すように
命令した。
※軍務官 慶応4年閏(1868年)4月21日)、
三職八局の体制を太政官七官しとし、
新たに軍務官が置かれ、郷兵・招募・
守衛・軍備の事項を担当した。

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