慶応4年(1868年)戊辰 久昭公 御年四十九歳
一、(6月)三日、右御模様伺トシテ軍務官へ
里見庄二郎出頭ノ処、井田五蔵 官職詳ナラス
面謁ニテ再度歎願ノ趣御聞届相成ニ付、
早々国許ヨリ人数操出スヘキ旨演説コレアリ
一、十三日、御位階御昇進ニ付、
御居間書院ニ於テ御祝儀ノ御囃子コレアリ、
老職ヨリ時計ノ間マテ拝見仰セ付ラル
※井田五蔵 井田 譲(いだ ゆずる)、通称・五蔵
大垣藩士(現在の岐阜県大垣市)。
藩主侍講、砲術教授方、評定役、京都留守居役などを勤め、
1868年、新政府に出仕し軍務官判事試補となる。徴士・
軍務官権判事などを歴任、陸軍少将。元老院議官、男爵。
大垣藩は鳥羽伏見の戦いで幕府方につき朝敵になる。
その後、勤皇派が佐幕派を説得、朝廷に謝罪、戊辰戦争
では新政府軍の東山道軍の先鋒を務めた。
※官職詳ナラス 朝廷の役人に対する反発を感じます。
地方から出てきた(朝廷の事務についた)微士、貢士は
過去に自分たちの身分、地位では決して許されなかった
「作る仕事」に存分に働く機会を得た。新しい情熱を知った
のである。また、専門家でもなかった彼等の発案が面白い
くらいに反対や抵抗にも遭わずに上層の承認を得て採用
された。 〇天皇の世紀9 大佛次郎著 朝日新聞社
※御位階御昇進 久昭公の官位
天保11年(1840)12月、従五位下、修理大夫、
元治元年(1864年)4月、従四位下(一度辞退)
岡城でお祝いをしたようです。

コメント