慶応四年(1868年)戊辰 久昭公 御年四十九歳
一、正月三日、伏見ニ於テ、
徳川家卜薩州外諸藩卜戦争始マル、
七日、徳川慶喜大坂城退去
一、 九日、御所御仮建ニ於テ、御達コレアリ
御達書詳ナラス
一、二十日、主上御元服御祝儀御献上、
御太刀一腰・御烏一匹代銀二枚、
御使者 姓名詳ナラス
※「天皇の世紀」8に見る鳥羽伏見の戦いの発端
滝川播磨守は赤池の部落の北端まで出て馬を下り、前方の
薩摩の隊から椎原、山口両監軍を呼出して、京への通行を
求めた。
「一応朝廷にお伺いし、御許可ない限り通行は許さぬ」と
頑固に拒絶した。最早日没に近づいた。再三の交渉の末、
滝川も待っていられなくなって、午後5時に、夜になるから
強行して通ると宣告した。椎原はこれに対し、自分たちは朝命
を奉じ、この地を守るものだから、臨機の対応に出ると答え、
味方の陣へ下って行った。 (中略)
滝川播磨守は部下に前進を命じた。幕軍縦隊が動き出すと、
薩軍は合図の喇叭を吹き、街道上の大砲が轟然と火を吹き、
散開した陣地からは一度に銃撃を浴びせた。(中略)
滝川は大目付であって、上表伝奏の使者で軍隊の指揮は任務
でなかった。
薩軍の第一発の砲弾は、赤池の北端路上に列んでいた幕府軍の
大砲三門中の砲車に命中し炸裂し、滝川の乗馬が驚いて狂奔し、
鳥羽街道を爆走した。不意の銃火砲撃に縦隊の長い隊列がみだれ
た中に、奔馬が躍り込んで、混乱に拍車をかけ、先頭の隊は採る
べき行動に出られなくなった。

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