慶応三年(1867年)丁卯 久昭公 御年四十八歳
一、(12月)十七日、正親町少将殿御邸へ警衛トシテ
侍分人数十人差出スヘキ旨、参与ヨリ御達ニ付、
猿ケ辻御守衛出張ノ人数ソノ侭差出サル
一、十八日、頃日御変革御混雑ノ虚ニ乗シ、
悪徒横行ノ聞へコレアルニ付、
洛中洛外巡邏御沙汰ノ処、
正親町殿御邸ニ有合ノ人数差出サルヽニ付、
巡邏ハ御免ノ御歎願書差出サル
※正親町(おおぎまち)少将殿の御邸に警衛として
侍身分の者を、数十人派遣するように参与役所から
御達しがあったので、猿が辻の御守衛に出ている者達を、
そのまま、少将殿の御邸に派遣した。
※この頃、王政復古変革の混乱に乗じて、悪党が横行して
いるとの話が聞こえてくるので、洛中洛外の警戒のため
巡回をするように御沙汰があったが、正親町殿の御邸に
ありあわせの人数を派遣するために、巡回警備は免除して
下さるように嘆願書を提出した。
※正親町少将公董(きんただ)父・中山忠能の2男
姉・中山慶子は明治天皇の母親
王政復古後、慶応3年(1867年)12月13日、
参与に就任。
のち、東征大総督参謀、奥羽追討白河口総督を勤めた。

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