慶応三年(1867年)丁卯 久昭公 御年四十八歳
御布告書 (その3)
一、和宮御方先年関東ヘ降嫁被爲在候得共、其後将軍軍薨去、
且 先帝攘夷成功之叡願ヨリ被爲許候處、
始終奸吏ノ詐謀ニ出御無詮之上ハ旁一日モ早ク
御還京被爲促度近日御迎公卿被差立候間、
其旨可心得居候事。
※和宮御方、先年、関東へ降嫁あらせられ候えども、
その後、将軍薨去、
且つ、先帝攘夷成功の叡願より許させられ候ところ、
終始、奸吏の詐謀に出で、御無詮の上は、
かたがた一日早く御還京促させられ度く、
近日、御迎え公卿御差立てられ候間、
その旨心得居るべく候事。
※和宮の条項を加えた理由 「天皇の世紀」7より
大号令は、多年の追放の末に、初めて参内を許された友山入道
岩倉具視が懐中に準備して出てきたものであった。
岩倉具視が急進派の若い公家に排除されて失脚した原因が、
和宮の降嫁を周旋したのを咎めたものだったので、今度朝廷に
復帰するに当たって、過去の罪を払拭する新しい立場を明確に
しようとして、この箇条を加えた。

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