慶応二年(1866年)丙寅 久昭公 御年四十七歳
一、(6月)二十二日、小倉表へ出張ノ御人数一番備
中川左近始一統へ御酒成下サル、殿様御不例ニ付、
若殿様御名代ニテ左ノ通御意コレアリ
此度之出張者眼前敵ニ当り、何れも必死之覚悟ニ而
打立候義と相察之、
御先祖様以来、旧来之君臣へ入恩義も深く、
如何ニも頼母敷離宴ニ臨、別而名残多く存候、
今夕者為御名代緩々相咄可申候之間、何れも十分酒相用、
潔く門出致、万事一和軍令堅く相守り、
事ニ臨んて、銘々武功末代迄相残、
御家万代之御武名相立候様、心掛専一ニ頼入候事
※中川左近長裕 中川(田近)平右衛門の家系 4千石
※中川左近長裕をはじめ、出動する一同へお酒を下された。
久昭公が病気なので、若殿が名代として御言葉を下された。
この度の出陣は敵を眼前にして、何れも必死の覚悟で戦う
ことになると思う。ご先祖様清秀公以来、これまでの君臣
の恩義も深く、いかにも頼もしい出陣の宴に臨んで、特に
名残惜しく思える。
今夕は、私は名代のため、ゆっくり話もできないが、酒は
十分飲んで、明朝は爽やかに出立し、何事も岡藩が一つに
なって、軍令を固く守り、戦いに臨めばそれぞれが武功を
末代まで残し、中川家代々の武家の名誉を建てるように
一心に頑張ってもらいたい。

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