慶応元年(1865年)乙丑 久昭公 御年四十六歳
一、(閏5月)二十二日、公方様京都御着、同日御参内、
夫ヨリ二條御城へ御入、
二十四日、御発途
一、二十五日、公方様大坂城御着
一、六月二日、御目附御手洗幹一郎様、
豊前海岸#ニ小倉辺御取締トシテ
差遣ハサルヽ筈ノ処、免セラレ、
御代松平左金吾様へ仰セ付ラルヽ旨御達
一、二十三日、大坂ニ於テ左ノ通御達
毛利淡路・吉川監物江相尋候義有之候間、
大坂表へ罷出候様申達候ニ付、道中筋、
無差支相通候様可被致候、
尤松平安芸守家来附属罷越候筈ニ付、
得其意、其筋々江為心得可被申渡置候、
右之趣キ、芸州より大坂迄道中筋ニ領分知行有之
面々昇為御警衛人数差出之儀
相心得罷在候面々江、可被相達候
※豊前海岸の取り締まり、松平左金吾に代わる。
※毛利淡路(毛利淡路守元蕃(もとみつ))周防徳山藩9代藩主
吉川監物経幹(つねまさ)周防国岩国領12代領主、
この二人に尋ねたいことが有るので、大坂へ出てくるように、
御達しを出したので、その途上支障が無いように計らうこと。
もっとも、(長州と幕府の仲介役をしている)松平安芸守
(芸州広島藩主浅野長訓(ながくに))の家来が二人に付き添い
先導役として大坂に来るはずだから、その意を含めて関連部署へ
伝えておくこと。芸州広島から大坂までに領地がある者は、警衛
のために人数を出すこと。関係する者すべてに知らせること。

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