岡城址29
広島・浅野家 長州と幕府の仲介

慶応元年(1865年)乙丑  久昭公 御年四十六歳

一、(閏5月)二十二日、公方様京都御着、同日御参内、

夫ヨリ二條御城へ御入、

二十四日、御発途

一、二十五日、公方様大坂城御着

一、六月二日、御目附御手洗幹一郎様、

豊前海岸#ニ小倉辺御取締トシテ

差遣ハサルヽ筈ノ処、免セラレ、

御代松平左金吾様へ仰セ付ラルヽ旨御達

一、二十三日、大坂ニ於テ左ノ通御達

     毛利淡路・吉川監物江相尋候義有之候間、

大坂表へ罷出候様申達候ニ付、道中筋、

無差支相通候様可被致候、

尤松平安芸守家来附属罷越候筈ニ付、

得其意、其筋々江為心得可被申渡置候、

右之趣キ、芸州より大坂迄道中筋ニ領分知行有之

面々昇為御警衛人数差出之儀

     相心得罷在候面々江、可被相達候

※豊前海岸の取り締まり、松平左金吾に代わる。

※毛利淡路(毛利淡路守元蕃(もとみつ))周防徳山藩9代藩主

吉川監物経幹(つねまさ)周防国岩国領12代領主、

 この二人に尋ねたいことが有るので、大坂へ出てくるように、

 御達しを出したので、その途上支障が無いように計らうこと。

 もっとも、(長州と幕府の仲介役をしている)松平安芸守

(芸州広島藩主浅野長訓(ながくに))の家来が二人に付き添い

先導役として大坂に来るはずだから、その意を含めて関連部署へ

伝えておくこと。芸州広島から大坂までに領地がある者は、警衛

のために人数を出すこと。関係する者すべてに知らせること。