岡城址26
上京
のみならず、出京の取り締まりを厳重に

慶応元年(1865年)乙丑  久昭公 御年四十六歳

一、(閏5月)三日、大坂ニ於テ

牧野越中守様ヨリ左ノ通御達

   当節浮浪之徒、京都表へ潜入致し候哉之風説も

有之候折柄、諸家人数出京候而者彼是及混雑候次第も

有之候間、為取締当地ニ而差留置、惣名前人数#ニ

出京之仔細柄委細ニ相認、拙者方へ伺出候様、

御警衛之向#蔵屋敷詰之者江急度相達可申旨、

所司代より申越候間、可被得其意候

      閏五月

一、十一日、大坂ニ於テ

御目附御手洗幹一郎様ヨリ、左ノ通御連

              中川修理大夫

   此度大目附塚原但馬守・御目附御手洗幹一郎、

豊州海岸#小倉辺為御取締被差遣候ニ付而者、

豊後国海岸其外見聞致候義も可有之候間、

同人より相達次第、其節者無差支様可被取計候事

※牧野越中守貞直(さだなお)大坂城代 常陸笠間藩8代藩主

※近頃、浮浪の者どもが京都へ潜入したとの話がある。

 時節柄、諸藩の人間(長州関係の者?)が京都を出ようと

 あれこれ画策しているようである。取り締まりに当たって、

 不審者は留置し、全ての者の名前・人数並びに京都を出る理由

 などを細かく聞きただし書面にして、通してよいか大坂城代へ

 伺いを出すこと。警衛の者だけでなく岡藩の蔵屋敷詰の者にも

 京都所司代からも達しがあるが、そのことを通知すること。

※(第2次長州征伐にあたり)大目附より目附の御手洗幹一郎を

 豊前、豊後から小倉あたりの海岸の取り締まりに派遣するので

 豊後の海岸を見回ることもあるので便宜を図ること。

 岡藩では三佐の港が対象になります。