慶応元年(1865年)乙丑 久昭公 御年四十六歳
一、(閏5月)三日、大坂ニ於テ
牧野越中守様ヨリ左ノ通御達
当節浮浪之徒、京都表へ潜入致し候哉之風説も
有之候折柄、諸家人数出京候而者彼是及混雑候次第も
有之候間、為取締当地ニ而差留置、惣名前人数#ニ
出京之仔細柄委細ニ相認、拙者方へ伺出候様、
御警衛之向#蔵屋敷詰之者江急度相達可申旨、
所司代より申越候間、可被得其意候
閏五月
一、十一日、大坂ニ於テ
御目附御手洗幹一郎様ヨリ、左ノ通御連
中川修理大夫
此度大目附塚原但馬守・御目附御手洗幹一郎、
豊州海岸#小倉辺為御取締被差遣候ニ付而者、
豊後国海岸其外見聞致候義も可有之候間、
同人より相達次第、其節者無差支様可被取計候事
※牧野越中守貞直(さだなお)大坂城代 常陸笠間藩8代藩主
※近頃、浮浪の者どもが京都へ潜入したとの話がある。
時節柄、諸藩の人間(長州関係の者?)が京都を出ようと
あれこれ画策しているようである。取り締まりに当たって、
不審者は留置し、全ての者の名前・人数並びに京都を出る理由
などを細かく聞きただし書面にして、通してよいか大坂城代へ
伺いを出すこと。警衛の者だけでなく岡藩の蔵屋敷詰の者にも
京都所司代からも達しがあるが、そのことを通知すること。
※(第2次長州征伐にあたり)大目附より目附の御手洗幹一郎を
豊前、豊後から小倉あたりの海岸の取り締まりに派遣するので
豊後の海岸を見回ることもあるので便宜を図ること。
岡藩では三佐の港が対象になります。

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