岡城址25
岡藩 湊川御固場 厳重警護を命じられる

慶応元年(1865年)乙丑  久昭公 御年四十六歳

一、閏五月二日、大坂町御奉行松平駿河守様・松平大隅守様・

御目附赤松左京様ヨリ御留守居御呼出ニテ、

左京様ヨリ左ノ通御演説コレアリ

   風聞御聞込御達相成候旨、太宰府之者上京仕候趣、

其内ニ長州奇兵隊之者紛レ入候而、上京致ス趣、

海陸何方ヨリ参り可申茂相分不申、

湊川御固場厳重通行之旅人相改可申、

長州人ニ相違無之者与見掛候ハ、召捕可申、

若発輝と相分不申候而、不審ニ存候者罷通候者、

何人程何日ニ罷通候段、早速御届申上候様、

且又松平美濃守様御人数三百人斗、京都為交代罷登候趣ニ付、

此表江著致し候ハヽ御留置之筈ニ御座候間、

右談判之末自然如何之変を生し可申も難斗、

其節ハ一人も取にかし不申様被成候思召ニ付、

其覚悟ニ致し候様、湊川江早々致通達候様、

右者御城代様より御達ニ相成候訳ニ有之処、

御書取ニ而者御達難被成ニ付、御直ニ御内達被成侯、

東西往返候処を以御考被成候ヘハ、

一両日中相発可申も難斗御考被成候旨、

其節ニ至候ハヽ、又々御達も可有之候

※目附赤松左京から岡藩への指示

風聞として、福岡の大宰府の者が上京する中に、長州の奇兵隊

の者が紛れ込んで上京するとのことなので、海か陸かは分から

ないが、岡藩の湊川御固場を通行する者を厳重に検査し、長州

人は捕縛すること。

 もし、よく分からない者、不審な者が通ったら、何人、何日通

行と、速やかに届け出ること。

且つまた、松平美濃守様が300人程を連れて交代のため上京す

る様であるが、兵庫へ到着次第、そこにとどめ置かれる筈である。

(朝廷か幕府?)の話し合い次第でその取り扱いが難しい。

留置と決まれば一人も取り逃がさぬよう・・。と大坂城代から

の御達しである。

※松平美濃守:筑前福岡藩主・黒田斉博 

※前半は、しっかり勤めを果たすことは出来ても、後半の福岡藩

 に関する件は岡藩には手に余ります。

 この年の福岡は乙丑の獄と言われる政変が起きています。

 福岡藩の勤皇派が第2次長州征伐を避ける運動をしたため、

福岡藩は長州を庇うとみなされ、幕府から叱責されています。

 藩内の政争もあり佐幕派が藩政を握り、勤皇派を弾圧して

しまいます。

 このため、福岡藩主黒田斉博は朝廷からも責任を問われる

状況になっていたようです。