文久三年(1863年)癸亥 久昭公 御年四十四歳
一、月日闕 江戸ニ於テ暑中御献上例ノ如シ、
御使者姓名詳ナラス
一、七月朔日、伝秦野宮宰相中将様ヨリ御家来御呼出ニテ、
猿ケ辻御固メ仰セ蒙ラル
一、 六日、御同所様ヨリ御家来御呼出ニテ、
先般御築地内異変ノ儀コレアリ、
早速御人数御差登セ、御用御伺ノ段、
叡聞ニ達シ、御満足ニ思召サルヽノ旨、
御賞詞ヲ蒙ラセル
一、九月二日、江戸ニ於テ重陽御献上例ノ如シ、御使者姓名詳ナラス
一、二十二日、松平安芸守様御上地御用ニ付、
御預ケ免セラル 御預ケノ年月日祥ナラス
※先般御築地内異変ノ儀 姉小路公知が暗殺された
朔平門外の変(さくへいもんがいのへん)と思われます。
文久3年(1863年)5月20日、尊王攘夷を唱える過激派公家
として知られた姉小路公知(右近衛少将、国事参政)が、
禁裏朔平門外の猿ヶ辻(さるがつじ)で暗殺された事件。
※薩英戦争 文久3年7月2日~4日、薩摩藩とイギリスの間で戦われた戦闘
文久2年8月、生麦村(現・横浜市鶴見区)で島津久光の行列に
騎馬で入ってきたイギリス人3人を薩摩藩士が殺傷した。
イギリスはその事件の解決と補償を求め軍艦7隻を鹿児島湾に入港させ
交渉したが、不調。イギリスの艦隊が薩摩藩船を捕獲したのをきっかけに、
戦闘状態に入った。そのため鹿児島市街は焼失。イギリス側も損害大。
※「日課心覚 熊田清六」この時期のんびりとした日々を過ごしています。
・北野天満宮参詣 ・生田にて乗馬 ・味泥川巡見 ・木刀借り手合わせ
説明図・ウィキペディア

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