文久三年(1863年)癸亥 久昭公 御年四十四歳
一、(5月)十二日、此度吉田家へ仰セ入ラレ、
去ル三月三日、荘嶽明神御神位御贈進、
松径院様、碧雲寺様御神号ヲ授ケ、
御霊璽御勧請相済、御木像日野淡路守守護シ奉り、
今日御宮へ御到着、
御神位御神号左ノ通
荘嶽(ミタケ)大明神 荘嶽明神御神位 (清秀公)
心嶽(ムネタケ)明神 松径院様 (秀政公)
宗鑑(ミカヾミ)明神 碧雲寺様 (秀成公)
一、六月十日・十一日両日、右御遷座ノ御式コレアリ
※吉田家 全国の神社の総支配役の公家
※日野淡路守 城原神社の神主
※攘夷決行についての事件
4月20日 将軍家茂、攘夷決行期日を
5月10日とする旨を孝明天皇に奏上。
5月10日 長州藩、下関海峡のアメリカ商船を砲撃。
23日フランス軍艦、26日オランダ軍艦にも砲撃。
6月1日、5日 アメリカ、フランスに報復攻撃を受け、
上陸した外国人によって村も焼き払われた。
※岡藩の攘夷決行についての動き
「文久3年夏 摂州御固場 出張被仰付候節
日課心覚 熊田清六」によれば
4月11日に摂州御固場出張を命じられて、
5月17日、岡藩藩兵、七里馬場を出発

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