文久三年(1863年)癸亥 久昭公 御年四十四歳
一、(2月)十九日、左ノ勅書、松平阿波守様ヨリ御渡コレアリ
一、神宮御警衛兼テ藤堂江茂被仰渡有之候得共、
宗廟之事故攘夷御治定ニおゐてハ、
一際御手当之謀略被聞食度事
一、隠岐・対馬の如き皇国地勢ヲ離れ候箇所ニ、
隣国者勿論互ニ合防禦之手当、聞食度事
一、二十五日、京都御発駕
一、 晦 日、御前様此度御在所へ御引越トシテ、
江戸御発輿、四月十三日、岡城御着
一、三月八日、岡城御着
※松平阿波守 阿波国徳島藩13代藩主・蜂須賀斉裕(なりひろ)。
11代将軍家斉の22男 妻は鷹司政通の娘標子
※勅書を幕府が受けて、諸大名に渡すようになっています。
※伊勢神宮の警衛はかねてから藤堂家へも仰せつけられていたが
天皇家の先祖を祠ところだから、攘夷の決定について
すべての防御の方策をご報告すること。
※隠岐、対馬のように皇国の遠隔地は、隣藩は勿論、
他の藩も援助することを、天皇にご報告すること。
※3月4日、将軍家茂、二条城に入る
3代家光以来230年ぶりの将軍上洛。
3月11日、孝明天皇、賀茂社に行幸し攘夷を祈願。
将軍家茂が御供として随行しています。
この二つの行事で、久昭公の行動記載がありません。
※この二つの言葉の読み方、解釈に困っています。
被聞食度事 きこしめされたきこと
聞食度事 きこしめしたきこと

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