近戸門より城内へ15
鐘丸様 久昭公の嫡子扱い  家中に武備の精励

一、十二月五日、年号改元

安政元年(1854年)

一、  十一日、鐘丸様去ル十月、御前様御養ニナラセラレ、

且今日御袴着ノ御祝儀コレアリ

一、  十八日、武家諸法度仰セ出サルヽニ付、

御家中始以下御家人迄拝見仰セ付ラル

一、  十九日、御老中阿部伊勢守様御宅ニ於テ、

左ノ通仰セ蒙ラル

      中川修理大夫

  武備手当之儀ニ付而者、追々被仰出之趣も有之候処、

兼々心掛厚、家来共文武之世話等行届、

且同席中取締之儀も精入、申談万有之趣相聞、

一段之事ニ候、此上共弥質素を相守、

同席中取締方行届候様可被致候事

一、二十一日、歳暮御献上例ノ如シ

※武家諸法度(ぶけしょはっと) 諸大名が守るべき規定。

 〇 文武弓馬ノ道、専相嗜ベキ事。

 時節柄、幕府はこのことを強調したと思われます。

※阿部伊勢守正弘(まさひろ) 備後福山藩第7代藩主

  筒井政憲、戸田氏栄、松平近直、川路聖謨、井上清直、水野忠徳、

江川英龍、ジョン万次郎、岩瀬忠震など大胆な人材登用し、外交

・国防問題に当たらせた。

  また、勝海舟、大久保忠寛、永井尚志、高島秋帆らを登用して

海防の強化に努めた。(ウィキペディア)

  安政4617日(185786日)、

老中在任のまま江戸で急死しています。享年39歳。

※3代久清公であれば、老中の話を受けて、自分から長崎に警備の

藩士を派遣したでしょうが、岡藩では自然災害が重なりそんな国力

はなかったように思えます。