近戸門より城内へ12
ペリー再度来航  岡藩 御年譜 平常通りの記載

嘉永七年(1854年)甲寅  久昭公 御年三十五歳

一、正月 二日、年始御献上例ノ如シ

一、 二十八日、御登城ノ処、御礼後御居残ニテ、

当年御暇下シ置レサル旨仰セ蒙ラル

一、四月二十六日、神田橋御門御番仰セ蒙ラル

一、五月 二日、端午御献上例ノ如シ

一、 二十六日、公儀御代替ニ依テ御朱御改ニ付、

岡御差立、中国路通行

一、月 日 闕 御朱印江戸ニ着ス

一、月 日 闕 暑中御献上例ノ如シ

一、八月 朔日、御献上例ノ如シ

一、九月 二日、重陽御献上例ノ如シ

一、十月 九日、鐘丸様、御前様御養ニナラセラル

一、月 日 闕 御朱印御改済ニ付、江戸御差立

※この時期、幕府の外交交渉  岡藩御年譜には何の記載もない

116日  ペリー、軍艦7隻を率いて浦賀に再来航。

3月 3日  幕府、日米和親条約を調印し、下田・箱館・を開港。

 522日   幕府、下田条約を調印。

715日 イギリス東インド艦隊司令長官スターリング

        長崎に来航開国を要求する。

 823日    幕府、日英和親条約を調印。

9月 2日   幕府、オランダに下田・箱館を開港する

        (通商は長崎のみ)。

※3代久清の時と比べ、対応に雲泥の差があります。

承応4年(1655年)久清公 2月14日、御自筆を以て仰せ出さる

   自然異国船来朝 ・・・長崎御奉行衆・肥後御目附衆へ相窺、

   中川平右衛門・中川藤兵衛

右二組、鉄炮頭5組鉄炮100挺、のぼり5本

同奉行下村弾右衛門(長崎へ)可参候