嘉永七年(1854年)甲寅 久昭公 御年三十五歳
一、正月 二日、年始御献上例ノ如シ
一、 二十八日、御登城ノ処、御礼後御居残ニテ、
当年御暇下シ置レサル旨仰セ蒙ラル
一、四月二十六日、神田橋御門御番仰セ蒙ラル
一、五月 二日、端午御献上例ノ如シ
一、 二十六日、公儀御代替ニ依テ御朱御改ニ付、
岡御差立、中国路通行
一、月 日 闕 御朱印江戸ニ着ス
一、月 日 闕 暑中御献上例ノ如シ
一、八月 朔日、御献上例ノ如シ
一、九月 二日、重陽御献上例ノ如シ
一、十月 九日、鐘丸様、御前様御養ニナラセラル
一、月 日 闕 御朱印御改済ニ付、江戸御差立
※この時期、幕府の外交交渉 岡藩御年譜には何の記載もない
1月16日 ペリー、軍艦7隻を率いて浦賀に再来航。
3月 3日 幕府、日米和親条約を調印し、下田・箱館・を開港。
5月22日 幕府、下田条約を調印。
閏7月15日 イギリス東インド艦隊司令長官スターリング
長崎に来航開国を要求する。
8月23日 幕府、日英和親条約を調印。
9月 2日 幕府、オランダに下田・箱館を開港する
(通商は長崎のみ)。
※3代久清の時と比べ、対応に雲泥の差があります。
承応4年(1655年)久清公 2月14日、御自筆を以て仰せ出さる
自然異国船来朝 ・・・長崎御奉行衆・肥後御目附衆へ相窺、
中川平右衛門・中川藤兵衛
右二組、鉄炮頭5組鉄炮100挺、のぼり5本
同奉行下村弾右衛門(長崎へ)可参候

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