岡城址入口5
天保十二年(
1841年)辛丑  久昭公 御年二十二歳

一、四月十九日、神田橋御門御番仰セ蒙ラル

一、五月 三日、端午御献上御帷子二

          右大将様へ右同

一、  同 日 暑中御献上葛粉一箱

          右大将様へ右同

一、七月 四日、当秋聖護院宮様御馳走役仰セ蒙ラレ、

        神田橋御門番ハ免セラル

一、  十三日、加藤遠江守泰幹様御妹御縁組、御願ノ通仰セ蒙ラル

一、八月 朔日、御献上御太刀馬代銀一枚

        右大将様へ右同

一、 二十八日、御馳走所へ御引越

一、九月 二日、重陽御献上御小袖二

          右大将様へ右同

一、  十三日、右宮様江戸御発駕ニ付、御馳走所御引払

※神田橋御門御番 この門は将軍が上野寛永寺、日光東照宮へ

参拝するときの通用門であるため鉄砲10挺、弓5張、

長柄槍10筋、持筒2挺、持弓1組が備えられていて、

警備が非常に厳しかったと伝えられています。

岡藩にとって寛文3年(1663年)久清公以来、30回程

代々勤めてきた役目です。

※加藤遠江守泰幹(やすずみ) 伊予大洲藩の第10代藩主

 ○久昭公の婚約者が加藤遠江守泰幹様御となっていますが、

  が正しいようです。名前は栄子と言い、先代藩主久教公の

  養女で、その養女栄子姫に久昭公を婿養子に迎えたようです。

※余談 この頃の御年譜は記述がだんだん曖昧になっているように

  思えます。他の資料と比べて年月日などのずれもあります。