一、九月二十七日、久教公岡城ニ於テ御病気御差重ノ御容体、
岡ヨリ御届書差立ラルヽニ付、
御急養子ノ御相談済セラレ、
久教公ヨリ御願書差出サル
一、 二十八日、久教公岡城ニ於テ御逝去
一、十月十五日、(久昭公)藤堂和泉守様御屋敷ヨリ
(岡藩)鉄砲洲御屋敷へ御引越
御里附 御先へ罷越 御近習頭 川村貞蔵
御近習 鈴木文之允 玉井庄太夫
御跡ヨリ罷越 御医師 山村道貞
御近習 板垣彦兵衛 村田平左衛門
一、 同日、御養父御定式ノ御忌服受サセラルヘキ旨仰セ蒙ラル
※御里附 久昭公が生まれ育った藩、藤堂家から付従う家臣
久昭公に仕えていた藤堂藩士が久昭公を補佐する
役目で家族ぐるみ岡藩に移籍して来たようです。
どの藩も長男、家督相続人以外は部屋住みの身分のまま
終わるか、他家に養子として貰われていくかで自分の一生が
決まります。したがって、久昭公に仕えた人たちにとっても、
人生の十字路に立たされるわけです。
小さくても、岡藩の藩主の近習になるのですから、喜んで
久昭公に付従ってきたと思われます。

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