
天保五年(1834年)甲午 久教公 御年三十五歳
一、正月 二日、年始御献上・御拝領例ノ如シ
一、 三日、御献上例ノ如シ
一、二月 十日、大名小路ヨリ出火、追々御近火ニ相成、
風筋モ宜カラスニ付、
御前様御中屋敷へ御立退
一、三月 九日、内府様御当厄ニ付、御祈祷山王観理院へ御頼、
白銀三枚御供
一、 十二日、水野摂津守勝剛様江戸ニ於テ御逝去、
御年七十七歳、三田常林寺ニ葬セラル、
御法号賢章院殿文隆英淳大居士、
久貞公御五男、御母侍女小池氏、
宝暦八年戊寅四月朔日、江戸ニ御誕生、
天明三年癸卯四月十四日、
水野日向守勝起様御養子ニ成セラル
※大名小路ヨリ出火 甲午火事と言われ、2月7日から13日まで
火事が連続して発生し4千人の死者が出たそうです。
※御前様 久教公の正室・絢姫 10代藩主久貴公と正室満姫の子
※内府様 内大臣家慶 将軍家斉の次男 後に12代将軍
※水野摂津守勝剛様 岡藩8代藩主・久貞公の3男・幼名鷹之丞
5男と記載されていますが、御年譜では3男として誕生しています。
下総国結城藩の5代藩主水野日向守勝起(かつおき)が
天明3年(1783年)4月12日、39才で急死したため、
鷹之丞と緊急に養子縁組をしたようです。
結城藩の第6代藩主として水野勝剛(みずのかつかた)を
名のります。
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