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          愛宕山 願成院跡

家老・中川平右衛門 久教公から名前の1字を頂く

文政九年(1826年)丙成  久教公 御年二十七歳

一、六月十三日、老職中川平右衛門、諦考院様御代以来

重キ御用向度々心労致シ、首尾能御用相弁、

五拾ケ年余ノ勤労 今以気丈ニ出精致スニ付、

格別ノ思召ヲ以テ御実名ノ一字拝領仰セ付ラレ、

教興卜更ム、且御居間ニ召出サレ御懇ノ御意ノ上、

御手自金子百両成下サル

一、  十八日、暑中御献上例ノ如シ

一、七月 三日、御在着御礼、御使者古田四郎五郎重言差上ラル、

御献上例ノ如シ

一、八月 朔日、御献上例ノ如シ、御使者里見三郎左衛門

一、九月 二日、重陽御献上例ノ如シ

一、 二十七日、文姫君様御引移ニ付、

御献上長御目録箱二通半・御文箱三通

※諦考院様   岡藩8代藩主久貞公

※首尾能御用相弁   首尾よく御用を相弁じ

※今以気丈ニ出精致ス 今もって気丈に出精致す

※老職中川平右衛門  平右衛門は田近家伝統の名前です。

明和5年(1768年)6月より、久貞公、久貴公、久教公と

3代の藩主の家老を勤めたことになります。年数だけ見ると

この時で59年になりますが、御年譜には50ヶ年余とあり

ますので何年か退いていたことがあったのかも知れません。

※文姫君様  将軍家斉の17女。(1809年~ 1837年)