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久教公 江戸城神田橋御門 警備担当になる

文政六年(1823年)癸未  久教公 御年二十四歳

一、正月 二日、年始御献上例ノ如シ、御使者野殿左忠治光格

一、二月二十九日、岡城御発駕

一、三月 三日、三佐御乗船、

十日、室ヨリ御揚陸、山崎御通行、

十五日、伏見御着、

十六日、京都御勤、

十七日、美濃路御通行

一、四月 朔日、江戸御着

一、  十九日、御参勤御礼、御献上例ノ如シ

一、 二十三日、神田橋御門御番仰セ蒙ラル、

御相役松浦肥前守煕様

一、五月 二日、端午御献上例ノ如シ

一、六月十五日、暑中御献上例ノ如シ

一、  十六日、嘉祥御菓子初テ御頂戴

一、八月 朔日、御献上例ノ如シ

※神田橋御門御番  この門は将軍が上野寛永寺、日光東照宮へ

参拝するときの通用門であるため鉄砲10挺、弓5張、

長柄槍10筋、持筒2挺、持弓1組が備えられていて、

警備が非常に厳しかったと伝えられています。

担当の大名は7万石以上の外様大名、国持大名の分家筋で

3万石以上の藩があてられていたようです。

※松浦肥前守煕(ひろむ) 肥前国平戸藩の第10代藩主

※端午御献上 55日、端午の節句

※嘉祥御菓子 616日、16個の菓子か餅を神前に供えた後、

       食べて疫病を払う。幕府が配ったようです。