
矢作橋の普請 負担金を皆納 8913両余
文政元年(1818年)戊寅 久教公 御年十九歳
一、九月 二日、重陽御献上例ノ如シ
一、 十一日、浚明院様三十三回御忌御法事ニ付、
御香奠御献上白銀二枚
一、 十八日、参州矢作橋御普請御手伝金御皆納、
金八千九百十三両余
※御普請御手伝 以前は、工事現場に岡藩が現場監督、人員、
材料等すべて手配して普請を行っていました。
※一揆五変 「もっと早く鎮められた」と問われ (党民流説)
御尤ニ候得とも 左様ニは目も届兼可申 貴評(其許)は何とやら
割薄なる様ニきゝ申侯と押返し候得は 賢者に責ると歟 承り候哉
ふ(不)図申出候得とも矢張世間並ニ心得候方
当然之事ニ候はんと一笑有之候
ふ(不)入事ニ候得とも書記入御覧候
是等の所もいかゞおぼし召候哉 承り度存候 以上
十二月十一日
是ハ遠方より来書のよし 人の取伝るを以てこゝに附ス
〇割薄 状況がよく分かっていない
〇賢者に責(せむ)ると歟 よく分かっている人に尋ねるとか?
〇党民流説はこの後、ぬれ手ぬぐひ弁(濡れ手拭の弁)
党民流説 巻二 臼杵
党民流説 巻三 雷同 佐伯 府内 公領 中津 嶋原 日出
党民流説 巻四 巻五
とありますが、一応、岡藩の関係で区切りをつけます。
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