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久教公 自分の弟を仮養子にして 帰国の途に

文化十五年(1818年)戊寅  久教公 御年十九歳

一、正月 二日、年始御礼、御献上・御拝領例ノ如シ

一、   三日、御献上例ノ如シ

一、四月十九日、御在所ヘノ御暇仰セ蒙ラル、御拝領例ノ如シ

一、  二十日、江戸御発駕、美濃路御通行、

御仮養子井伊掃部頭直亮様

        御舎弟勝之助様

一、五月 二日、端午御献上例ノ如シ

※井伊掃部頭直亮(なおあき)彦根藩14代藩主  井伊直弼の兄

※御舎弟勝之助 のち内藤政優(まさひろ)三河挙母藩5代藩主

※一揆五変  当事者でない寺院で鎮める・・筋違い (党民流説)

 然処(しかるところ)先(に)寺院を以(って)取鎮(とりしずめ)

候は 只々 穏便を主意として、百姓共は平日(ふだん)旦那寺之教化

を信仰いたし居候者ニ付、ケ様之急場(かようなきゅうば)に用立テ

候事、能差略(よきさりゃく)と見込、下知有之候歟(や)と存候、

 左候而(さそうろうて)は仕置方、役筋之面々 自分引受の場を

はづし他人を雇、間を合せ候様ニ相見 事軆いかゞ敷ものに御座候 

其上 其筋 寺院之働ニ而取り鎮候ヘハ無比類手柄之義故、

寺院は必(ず)上(藩)より之会釈(えしゃく)も いよいよ重く

相成下之気受ハ猶又宜敷(なおまたよろしく)益信服を相増可申

 役筋之心得ニは笑止なる手違と覚候

〇一揆の原因が藩の苛政にあるのに、その原因に目を向けず、

百姓が普段世話になっている寺院の僧侶に取り鎮めを頼むとは、

筋違いも甚だしい。と対応のまずさを指摘しています。