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台風被害の補填に囲い籾を売却

文化十四(1817年)年丁丑  久教公 御年十八歳

一、(7月)二十三日、去ル酉年御達コレアル囲籾三千三百九十四石、

此米千六百九十七石、石高ニ応シ金子御拝借ノ処、

去秋御領分御半高余ノ御損毛ニ付、

夫食且破損所御手当取捌方ニ成サレ度旨、

当二月御伺ノ通御差図相済、

大坂御金蔵ニ御上納金六百七十八両三歩余

一、八月 朔日、御献上例ノ如シ

一、九月二十一日、仁孝天皇御即位

一、   同日、重陽御献上例ノ如シ 御忌中ニ付、是迄御延引、

※囲籾  宝暦3年(1753年)癸酉 久貞公 御年30歳

     4月29日、当秋より壱万石に付千俵宛籾囲置べき旨御達

(幕府は)去年の置籾のほかに、当秋より領地高1万石につき籾千俵の

割合で籾を貯蔵する「囲籾(かこいもみ)」を命じた。

白米は腐敗のおそれがあるため、籾で貯蔵する場合が多かったから囲籾

といわれている。(宇目町誌)

※一揆四変 入山公の廟鳴動、電光を発す・・。(党民流説)

廿三日(23日)、中川平右衛門 岡を発し江戸へ赴くべきよし(由)        

いひ伝ふ。明春、上下の落着(らくちゃく)いかならんと風説とりどり

なる処ニ、臼杵領党民の事起れり。

 中川家の先侯に入山公と申せるハ英豪の聞へ有しか、朽網山ニその廟        

あり、此比しきりに鳴動し、或ハ電光を発し、或は廟の扉、自らひらけ

たりなといひ伝ふ

〇臼杵領党民の事 文化8年12月20日、臼杵領三重(豊後大野市)に

         端を発した一揆。岡藩の一揆が諸藩に波及します。

〇入山公 3代藩主久清公。大船山(朽網山)山腹に廟があります。

 △(余録)第16回 由学館セミナー「入山公と大船山」

令和元年8月11日(日)8:30~出発  ○現地説明会

申込:電話番号 0974-63-4818(竹田市教育委員会文化財課)

 △バスの案内:大船山麓まで運行、11月17日まで。