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この年も台風襲来 

文化十四(1817年)年丁丑  久教公 御年十八歳

一、六月 六日、先月廿九日 尾張中納言斉朝卿御簾中様 

公方様御嫡女 御卒去ニ付、御朦中御献上

        公方様へ砂糖漬一壷

        右大将様へ右同

        御台様へ右同

一、  十一日、暑中御献上例ノ如シ

一、七月 二日、岡大風雨

一、   三日、御舎弟忠之助様江戸ニ於テ御逝去、御年三歳、

麻布大泉寺ニ葬り奉ル、

御法号蓮台院殿荷法玄葉禅童子、久貴公御四男、

御母ハ御侍女佐柄木氏、

文化十二年乙亥九月四日、御誕生

※尾張中納言斉朝  尾張藩10代藩主・徳川斉朝(なりとも)

 公方様御嫡女 徳川斉朝の正室・将軍家斉の長女・淑姫(ひでひめ) 

※岡大風雨   被害は不明です。記録組織の緩みが出たのかも?

※一揆四変 近隣の諸藩 国境を固める (党民流説)

四隣の諸藩 此変乱におどろき(境)界を犯すこともやとあやぶ

(危)ミ、ひそかに意を用ひ又使者をも立らるゝよしなりしを、

岡藩より堅く辞せられてやみ(止)しとぞ。

府内は足軽百人を備へ、臼杵は人数四百五拾人を命せられしなど

かた(語)り伝ふ。

〇四隣の諸藩 東西南北の諸藩ということでしょうが、岡藩は日向

の延岡藩、肥後・熊本藩、豊後の府内藩(大分市)臼杵藩、佐伯藩、

豊後森藩、天領日田と境を接していたので、騒動が起きると百姓の

逃散が起きると警戒したものと思われます。

〇明暦2年(1656年)3代久清公の時代、「狐の肝事件」で各藩に

 千名単位の逃散があったと記録されています。