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久貴公 下屋敷へ転居  隼人正(はやとのしょう)と改名

文化十二年(1815)乙亥  久貴公 御年二十九歳

一、(4月)六日、御明細書差出サル

         本国常陸、

         生国武蔵

           養父中川修理大夫死俗名甲斐守

           実父於平尭山 俗名甲斐守

         中川修理大夫久貴

            亥三拾歳

     文化十二乙亥年九月五日隠居被 仰付候

一、  十五日、御隠居ノ御礼仰セ上ラル、

御名代九鬼和泉守様御登城、

        御献上御太刀馬代黄金拾両・紗綾五巻、

大納言様へ御太刀馬代黄金拾両

一、十一月十一日、八丁堀御下屋敷へ御引移 

 御前様・御姫様方ハ、御上屋敷御住居

一、十二月十二日、隼人正卜御更名御願ノ通仰セ蒙ラル

※御前様   久貴公の正室・満姫  

久貴公と離れ上屋敷に残ったことで、2人の仲が窺えます。

また、隠然たる勢力を持っていたことがわかります。

※一揆再変  願いの条々  (党民流説)

① 一 御物会所被差止(差し止められるように・止めること)

② 一 生産方被差止

    此生産方は乙津屋伊右衛門と云うか宅にて、此節打ヰベき事

    なりしが、一揆のものゝ内より年貢米を入置たるよしにて難

    をまぬ(免)がれたりと云ふ 

③ 一 塩問屋被差止