
久貴公 願いどおり隠居を命ぜられる 双子の男子誕生
文化十二年(1815)乙亥 久貴公 御年二十九歳
一、四月、 江戸ニ於テ御男子双子御誕生、
御名忠之助・孝之助卜称シ奉ル、
御母ハ御侍女佐柄木氏
一、 五日、御黒書院波ノ間ニ於テ御老中御列座、
御用番松平伊豆守様 ヨリ公御病気ニ付、
御願ノ通御隠居仰セ蒙ラル、
御名代九鬼和泉守様御登城
※男子双子 2人とも文化14年(1817)相前後して死亡
3男の栄之進も文化13年(1816)死亡
この3人を含めて5男、1女はすべて
侍女佐柄木氏が母親です。
※九鬼和泉守隆国 幕府の儀式、典礼や大名が将軍に拝謁する
段取りを取り扱う奏者番を勤めていました。
中川家との縁は、九鬼家が水軍として活躍していた秀吉の時代に
中川家には柴山両賀を中心とした水軍が、九鬼水軍と伴に朝鮮軍
との海戦の戦功で、秀吉より褒賞されています。
※一揆再変 奉行・宗長兵衛等駆けつける (党民流説)
暮近き比、城下より奉行宗長兵衛、代官梶原茂右衛門、手代吉良利
右衛門等はせ着キ、大勢の中を押分押分役所に至り、出席して大音に
「先しバらくの内しづまるべし、申聞す事あり」となだめければ、
百姓ども口々に「座席高し、座を下りて此節の願、何事なりとも願立
遣すべしとの証文を渡されなば願の條々を申述べしと」云ふに
宗長兵衛心得たりとて座を下り、証文をしたゝむるに、百姓竹槍三十
本ばかりを顔にさしあて、組々に一紙を渡さるべしと云、望にまかせ
証文を出すを、竹槍ニかけて受取、これより惣勢しつまりて、願望の
條々を申ける條数、四原の者の願ニ比すれば一倍に過タリとぞ。
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