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久貴公 隠居願を出す

文化十二年(1815)乙亥  久貴公 御年二十九歳

一、五月 三日、端午御献上例ノ如シ

一、六月 朔日、若殿様初テ御目見

一、  十八日、暑中御献上例ノ如シ

一、 二十二日、若殿様五節句月次御登城御願済セラル

一、八月 朔日、御献上例ノ如シ、御病気ニ付、御使者中川外江三俊

一、九月 二日、重陽御献上例ノ如シ

一、   三日、御病身ニ付御隠居ナサレ度旨、

九鬼和泉守様ヲ以テ

御用番松平伊豆守様へ御願書差出サル

    隠居奉願候覚

   高七万四百四拾石余    居城豊後国岡

                    中川修理大夫

                      亥三拾歳

                養子  中川悌之丞

                      亥拾九歳

※若殿様初テ御目見 若殿(久通)将軍家斉に初めて御目見え

  岡藩主久貴公の後継者として正式に認定されたことになります。

※九鬼和泉守隆国(くきたかくに)摂津三田藩の10代藩主

※御用番松平伊豆守信明 月番老中 久貴公の正室満姫の養父

※養子・中川悌之丞 亥拾九歳 亥年19歳 3歳プラスですね。

※一揆再変 犬飼御物会所を打ち壊す(党民流説)

次に万歳屋彦兵衛宅を壊つ、これは町乙名にて御物受込の者なり。         

土歳をも打崩し衣類・諸品のこりなく破裂し、油 醤油を流しかけ、銀札、

帳面を水にひたし、其(の)暴乱いよいよ甚タしく、次ニ御物会所を打崩

す。是ハ米屋善三郎といへるが宅なりしを会所として諸品充満したるを、

官物の憚りもなく散々に打壊も塩蔵、煙草藏をも悉く破りて品々を踏あら

し井手を堰留めて屋敷を川の如くし、諸穀類たばこ等を打散すありさま、

実に目もあてられず。