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久貴公 この年も 七里田温泉に 湯治

文化七年(1810)庚午  久貴公 御年二十四歳

一、六月十三日、惇信院様五十回御忌御法事ニ付、

御香奠御献上白銀弐枚

一、 二十一日、暑中御献上例ノ如シ

一、 二十七日、御在着御礼、御使者渡辺勘助長義差上ラル、

御献上例ノ如シ

一、八月 朔日、御献上例ノ如シ、御使者里見三郎左衛門義正

一、 二十四日、七里田へ御湯治トシテ御発駕

一、九月 二日、重陽御献上例ノ如シ

一、   同日、七里田ヨリ御帰城

一、  十一日、浚明院様二十五回御忌御法事ニ付、

御香奠御献上白銀弐枚

※惇信院様   9代将軍家重

※浚明院様   10代将軍家治

※里見三郎左衛門義正 用人格 400石 (不染斎随筆)

里見三郎左衛門義正は刀剣の事心得ある故見せしに、

作は何共わかれども、いづれ3、4百年には及ぶ古身にて、

地がねすくなに成れど、随分さし料となるべきものなれば

金3両ばかりも其の者に遣わし然るべしと申すにより、・・。

※七里田へ御湯治  元禄4年(1691)久恒公 51歳

一、3月15日、朽網七里田 御湯屋建ツ

文化6年(1809) 久貴公 御年23歳

一、2月 朔日、七里田へ御湯治トシテ御発駕、9日、御帰城

※横山甚助の新法  (竹田市誌)

ニ、夜なべ仕事に対する上納

近世農村では、農民のささやかながらの現金収入の方途として、

「作間さくまの稼ぎ」(農間余業)と夜なべによる手工業製品の

売却益があった。