
久貴公 参勤交代で木曽路
文化七年(1810)庚午 久貴公 御年二十四歳
一、四月十九日、御在所へノ御暇仰セ蒙ラル、御拝領例ノ如シ
一、 二十三日、江戸御発駕、木曽路御通行
一、五月 二日、端午御献上例ノ如シ
一、 七日、伏見御着、
八日、京都御勤、
十日、大坂御着、
十五日、室ヨリ御乗船、
二十二日、三佐御着、
二十四日、御帰城
一、 二十九日、去ル二十一日於ラク御方御卒去ニ付、
大納言様へ御朦中御献上氷砂糖一壷
※(参勤交代)木曽路御通行 中山道(なかせんどう)
東海道は天候や増水による通行不能になる、大井川、
浜名、桑名の渡しなどがあり、日程が順調にゆかず、
経費が余分にかかったようです。
※於ラク御方 お楽のお方 香琳院(こうりんいん)
12代将軍家慶の母
※大納言様 11代将軍家斉の次男・家慶。のち12代将軍。
※横山甚助の新法 (竹田市誌)
ハ、塩問屋の設置 海浜に遠い岡領内で消費される塩の多くは、
自領の三任地方の製塩のほかは、大分郡・海部郡などの海岸から、
「振売(ふりうり)」(行商人)や専門業者が持ち込み、領内で自由に
販売されていた。
これを特定の問屋を設けて、一手に売買させようとする政策で、
問屋は藩 直営、もしくは指定商人に委嘱された。
需要の大きい塩は、専売品として、藩や指定商人の意のままに売買
されることになり、莫大な収益が上げられることを狙ったものである。
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