
伊能忠敬(ただたか)一行 岡藩領・三佐を測量
文化七年(1810)庚午 久貴公 御年二十四歳
一、正月 二日、年始御礼、御献上・御拝領例ノ如シ
一、 三日、御献上例ノ如シ
一、二月十三日、天文測量方伊能勘解由忠敬・坂部貞兵衛惟道、
御料原村ヨリ三佐へ罷越、測量コレアリ、
即日鶴崎へ罷越
一、 二十二日、老職隠居中川休翁久芳病死
一、三月二十五日、三千蔵様御丈夫御届、
追而御前様ニ御男子御出生ノ節ハ、
三千歳様ハ御次男ニナサルヘク、
依テ以後御在所へ御出立ノ砌、
御仮養子ナサレ間敷旨仰セ達セラル
※伊能勘解由忠敬 13日忠敬一行は府内(大分市)より津留村・
萩原村・原村・三川村・三佐村の測量を終えて鶴崎の宿舎に着く。
※中川休翁久芳 前名・中川求馬久敦 3千石
※三千蔵様・・。御前様(正室・満姫)ニ御男子御出生ノ節は
三千蔵様を次男として処遇するように・・。
この時点で、長男である三千蔵様の嫡男扱いはなくなりました。
文化4年(1807)久貴公御年21歳
8月9日、江戸に於て御男子御誕生、
御名三千蔵と称し奉る、御母は御侍女佐柄木氏
※横山甚助の新法 (緒方町誌)
御物会所では穀物類やたばこなど農村での生産品を、
製産会所では材木・薪炭などの生産品を、藩や特定の商人が独占的
に買い上げていた。農民が生産品を売る場合、この両会所以外での
販売は禁止され、安く買いたたかれてもどうすることも出来なかった。
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