
何か訳がありそうな石垣の組み方
久貴公 御婚礼 三河吉田藩藩主の養女・満姫
文化六年(1809)己巳 久貴公 御年二十三歳
一、六月十一日、暑中御献上例ノ如シ
一、 十四日、大手組御防仰セ蒙ラル
御相投 土屋保三郎英直様
松平備後守利之様
土岐山城守頼布棟
一、 十六日、喜(嘉)祥御菓子御頂戴
一、八月 朔日、御献上例ノ如シ
一、九月 二日、重陽御献上例ノ如シ
一、十一月九日、松平伊豆守様へ御結納進セラル、
御使者市浦範八郎弼
一、 二十三日、御婚礼、御前様御名満卜称シ奉ル
※大手組御防 江戸城の大手門で江戸城類焼防止と警備を兼ねた役目。
※満姫について
養父・松平伊豆守 松平信明(のぶあきら)、
三河吉田藩の第3代藩主。老中・老中首座。
実父・杉浦 正直(まさなお)寄合席旗本 8000石。
松平信明の弟
※三河吉田藩は、8代藩主久貞公の出身地です。
※余談ながら 久貴公は、名門の松平家から迎えた満姫には
頭が上がらなかったように思えます。
※横山甚助の新法・御物会所の影響 (朝地町史)
農民の油絞りを禁じたため、一般は灯油や肥料にまでも欠乏し、
食用油すら自分たちが菜種をつくりながら、存分に使えず窮した。
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