
朝鮮通信使の招聘の費用 大名、農民で負担
文化五年(1808)戊辰 久貴公 御年二十二歳
一、正月 二日、年始御礼、御献上・御拝領例ノ如シ
一、 三日、御献上例ノ如シ
一、四月 六日、御勘定奉行柳生主膳正久通様ヨリ、
此度朝鮮信使来聘ニ付、
万石以上高役金一万石ニ金七拾五両、
国役金百石ニ永弐百文ノ積ヲ以テ、
当辰年ヨリ申年マテ五箇年ニ差出サルヘキ旨御達
一、 十八日、御在所ヘノ御暇仰セ蒙ラル、御拝領例ノ如シ
※御勘定奉行 財政・民政を主に扱う勝手方勘定奉行
訴訟関連を扱う公事方勘定奉行に分かれていた
ようです。
※柳生主膳正久通 旗本 1100石 勘定奉行を28年間務めた。
※朝鮮信使 第12回 1811年(文化8年)が最後の使節でした。
正式には、朝鮮聘礼使(へいれいし)。朝鮮通信使とも云う。
室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮から日本へ派遣された
外交使節団で、江戸時代には将軍の代替わりや世継ぎの誕生に際
して、祝賀使節として派遣されるようになった。
※高役金 1万石に75両。 7万石×75=525両 岡藩の分担
※国役金 農民から高100石あたり200文の国役金として徴収された
※永弐百文 永200文 永楽銭200文 銭(ぜに)200文
銭(ぜに)の名目的な使い方だったようです。
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