
岡藩 大坂中の島に蔵屋敷を建てる
文化四年(1807)丁卯 久貴公 御年二十一歳
一、四月 五日、江戸地廻り御供御駕脇士四人、御徒士三人、
御跡箱一ツ相減、末々右ニ准シ、
暫クノ内 江戸市中御減少ナサレ度旨御届差出サル
一、 十一日、御参勤御礼仰セ上ラル、御献上例ノ如シ
一、五月 二日、端午御献上例ノ如シ
一、 九日、御上屋敷御普請成就、御移徏
一、六月十六日、嘉祥御菓子御頂戴
一、 十八日、暑中御献上例ノ如シ
一、七月二十二日、目黒御抱屋敷ニテ、毎年四月ヨリ七月迄、
御家中稽古鉄砲打セラレ度旨御伺済セラル
一、 日 闕 大坂上中ノ島町上田三郎兵衛屋敷ノ内、
御借地ニ相成、御倉御普請コレアリ、
上田蔵卜唱フ
※江戸地廻り 江戸市中を久貴公が用事で出回る時の供連れ
江戸城に登城する場合や、参勤交代の際は禄高等により、
厳密に格式が厳密に定められていたようです。
※御供御駕脇士 久貴公の籠の両脇で護衛をする家来(侍)
※御徒士(かち)徒歩(かち)ではない。侍と足軽の間の階級。
※御跡箱(あとばこ) 挟み箱(はさみばこ)。外出をするとき、
着替え用の衣類や具足を入れ、中間に担がせた定紋付きの木箱
※御抱屋敷(かかえやしき) 岡藩が独自に購入した土地。
※蔵屋敷 岡藩の年貢米や特産品を納める蔵を持った屋敷
御借地ニ・・。岡藩としては、表向き商売はしていないことを
あらわしているように思えます。
※享保9年(1724年)3月21日大坂堀江筋より出火、
岡藩大坂栴檀木御蔵屋敷類焼 米、豆1万5千俵消失
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