
久貴公 将軍家斉に御目見え 家督相続者と認められる
享和元年(1801)辛酉 久貴公 御年十五歳
一、九月二日、重陽御献上例ノ如シ
一、 十二日、御登城ノ節、介副ノ者召列ラル旨、
御目附様へ御達差出サル
一、 十五日、将軍家斉公へ初テ御目見、
九鬼和泉守隆国様御同道御登城、
御献上御太刀馬代黄金拾両・紗綾五巻、
大納言様へ御太刀馬代黄金拾両
一、 同日、御幼少ヨリ御積気ニ在セラルヽニ付、
御防場へ御人数ハカリ差出サレ度旨御届差出サル
一、 二十日、五節句並月次御登城御願済セラル
※重陽御献上 5節句の1つ、9月9日菊の節句のお祝い献上
※介副ノ者 介添えの者 久貴公が若年のため、付き添いの者を
同道させたい、との許可を取ったのでしょう。
※御目見(おめみえ) 将軍に会って挨拶して、はじめて家督相続
の有資格者、家督相続人と認められたようです。
※九鬼(くき)和泉守隆国 幕府の儀式、典礼や大名が将軍に拝謁
する段取りを取り扱う奏者番を勤めていました。
久貴公は安心して将軍に御目見え出来たでしょう。
※御積気 癪気(しゃっき)胸部、腹部に激痛が走る病気
胆管か尿管結石を連想します。
※御防場・・。寛政11年(1799)4月桜田門の警備、防火担当に
なっています。しかし、今回は家来は出すが、久貴公
自身が病気で出られない、と届を出したのでしょう。
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