
岡藩あげて 鷹狩として軍事演習を行う
寛政七年(1795)乙卯 御年二十歳
一、正月二日、年始御献上例ノ如シ、御使者中沢三郎左衛門
一、二月四日、鳥屋山ニ於テ御狩御試、
御家中始末々ノ者マテ罷出ル
一、二十五日、孝恭院様十七回御忌御法事ニ付、
御香奠御献上白銀弐枚
一、二十六日、九重野山ニ於テ御狩御試、
御家中末々ノ者マテ罷出ル
一、三月二日、岡城御発駕、
五日、三佐御乗船、
二十一日、室ヨリ御揚陸、
二十四日、大坂御着、
二十七日、伏見御着
一、四月十二日、江戸御着
一、 十五日、御参勤御礼、御献上例ノ如シ、
若君様へ御太刀馬代金拾両
※鳥屋(とや)山御狩御試 不染斎随筆に記載があります。
2077 (明暦2年)同年11月4日、鳥屋山にて御鷹狩有之。
広計案ずるに、此の時の御狩りは御軍陣習試の心持にてありしと思はる。
此の後も御家中、士、勢子にて所々御狩は毎度ながら式立たる事はなか
りし由也。此の節の義、御例となりて久山(久恒)公、貞山(久通)公、
了山(久忠)公、観山(久貞)公右御代に一度宛ては軍陣御ならしの式
立たる御狩ありし也。
※九重野(くじゅうの)山ニ於テ
竹田市神原地区緩木(ゆるぎ)山と思われる
※異国船の出没に神経を尖らせた幕府の指示に従い、
鷹狩りの名で軍事演習をしたものと思われます。
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