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岡藩も 異国船漂着の対応準備を届け出る

寛政五年(1793)癸丑  久持公 御年十八歳

一、五月二日、端午御献上例ノ如シ

一、  三日、異国船漂着ノ節、

三佐浦御手当人数・船数等ノ儀

御書附差出サル

一、六月四日、淑姫君様昨三日御結納済セラル、

御祝儀御献上、

       公方様へ二種金千匹

       若君様へ右同

       御台様へ一種金五百匹

       淑姫君様へ右同

一、 十二日、惇信院様三十三回御忌御法事ニ付、

増上寺御参詣ノ供奉御勤御衣冠

一、 十三日、右御法事ニ付、御香奠御献上白銀弐枚

一、 十六日、嘉祥御菓子御頂戴

一、 十八日、暑中御献上例ノ如シ

※異国船漂着ノ節、(その対応に当たれる)人数、船数等の届。

世界情勢が日本にも伝わって、現実に外国人がやって来た。

そのとき想定される対応の指示が出されたようです。

1791年(寛政3年)、林子平の「海国兵談」が出版されています。

1791年(寛政3年)、アメリカ人ジョン・ケンドリックは日本に

向けてマカオを出港し、56日紀伊大島に到着した。しかし、

日本との交易は成功せず、517日に日本を離れた。

1792年(寛政4年)、アダム・ラクスマンがロシアの女帝

エカチェリーナ2世の命により大黒屋光太夫たち3名の送還と

イルクーツク総督の通商要望の信書を手渡すため最初の遣日使節と

して、924日にオホーツクを出発、1020日、根室に到着した。