イメージ 1

10代将軍家治 死去  

天明六年(1786)丙午 久貞公 御年六十三歳

一、八月朔日、御献上例ノ如シ、

御使者戸伏平蔵 中川蔵人三周故有テ変名

一、九月二日、重陽御献上例ノ如シ

一、  六日、公方様御不例ニ付、御快復ノ御祈祷山王勧理院へ御頼ミ、

       御初穂白銀三枚

一、  八日、将軍家治公薨御 浚明院様ト称シ奉ル

一、 十四日、御代替ニ付、御誓紙ノ御願差出サル

一、二十七日、御中陰御献上氷砂糖一壷、

       御部屋様へ右同

一、十月九日、御中陰二度目御献上氷砂糖漬一壷

※戸伏平蔵  戸伏助之進三達か

※中川蔵人  中川(戸伏)織部三周

       前名・戸伏三彌蔵人 助之進三達の嫡子

※重陽    99日 重陽の節句

※公方様   将軍の呼び名 将軍とは呼ばれていなかったようです。

※御代替   将軍の代替わりに、新しい将軍に忠誠を尽くす誓紙を

差し出す儀式があったようです。

※御部屋様  将軍家治の奥方 閑院宮直仁親王の第6王女倫子(ともこ)

※御中陰   四十九日間の喪に服す法要期間

※余談 将軍家治は825日に死去、98日に死去を公表したようです。

この頃から、老中田沼意次の追い落としが始っています。