
伊豆坂 左上 広瀬神社 右上 岡神社
藩校由学館 杣谷から伊豆坂に移る
天明二年(1782)壬寅 久貞公 御年五十九歳
一、(10月)八日、思召コレ有ニ付、中川求馬方ヨリ鶴次郎殿
始中川大四郎久知養子ニ下サル処、
其後大四郎離縁ニナル、依テ求馬嫡孫承祖トナル
御取戻シ、御名大炊卜御更メ
一、 同日、江戸ニ於テ老職中川求馬久敦隠居
一、 二十七日、御家中歩方御弛渡初テ成下サル
此後追々御増アレトトモ略ス
一、十一月朔日、豊州ニ於テ中川図書次男鉄之助和邦 後鶴次郎久照ト更名
中川求馬養子トシテ家督相違ナク、老職仰セ付ラル
一、十二月六日、寒中御献上例ノ如シ
一、 十九日、杣谷由学館土地宜シカラサルニ付、
伊豆坂ニ御普請成就御移ニナル
一、 二十一日、歳暮御献上例ノ如シ
※中川求馬(久敦) 3代藩主久清公の7男主馬久周の家系
※嫡孫承祖(ちゃくそんしょうそ) 祖父が孫を跡継ぎにすること
祖父・求馬久敦 → 父・図書久典 → 子・鶴次郎(のち久照)
求馬久敦の子・図書久典は、隼人久美家の養子でした。
自分の子を本家の跡継ぎにしたことになります。
※中川求馬久照(前名・鶴次郎) 3千石
※御家中歩方御弛み 岡藩の借金がかさみ、藩士の給米も借り上げ
として何割か藩財政に組み込まれていたようです。
その借り上げ率が少し弛んだと思われます。
※杣谷(そまだに)由学館(ゆいがっかん)伊豆坂(いずざか)
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