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若殿・久徳公 江戸城内で出血

天明二年(1782)壬寅  久貞公 御年五十九歳

一、五月 二日、端午御献上例ノ如シ

一、六月十三日、暑中御献上例ノ如シ

一、  十六日、嘉祥 若殿様御登城、

御礼前御小用ニ御立ノ処、

御痔血ニテ暫ク御保養ノ内 御礼始ル趣ニ付、

大御目附へ御坊主ヲ以テ御達、

御礼仰セ上ラレス御退出

一、七月十七日、岡大風雨

一、 二十二日、御家中諸士系譜校正仰セ出サル 

系図方始ル

※端午 端午の節句  55

※嘉詳(の行事)616日、江戸城に諸大名が登城し、

大広間で神前に供えた菓子を頂戴していた。

  その菓子を頂いたお礼挨拶をする前に、出血したようで、

  大目附に届けてそのまま江戸城から退出したようです。

※岡大風雨   台風襲来 岡藩は717日、820日と

続けて台風に襲われています。被害は次回記載。

※御家中諸士系譜 参考資料 不染斎随筆に関係の記載があります。

右、裁許所の帖面は、天明の初め大河原湛楽斎、御系譜取調御用見合

のため、彼方に取出しありしを、広計抜書にしたるなり。

 了山公御代、寬保中、御家中より差出せし家々の系図の誤りを考るにも、

此の親類書の帖は大いに益ありと湛楽斎いえり。