
若殿(久徳公)の次男(釤之助・さんのすけ)誕生
安永三年(1774)甲午 久貞公 御年五十一歳
一、正月二日、年始御献上例ノ如シ、
御病気ニ付、御使者中沢蔵多助堅、
若殿様御献上・御拝領例ノ如シ
一、 三日、御献上例ノ如シ
一、十一日、若殿様御部屋ニ御男子御誕生、
御名釤之助(後久貞公御嫡孫御承祖)卜称シ奉ル、
御母ハ御侍女福原氏
一、四月十五日、御病後御礼仰セ上ラル、
御献上干鯛一箱、
大納言様へ右同
一、五月二日、端午御献上例ノ如シ
※久貞公御嫡孫御承祖(ちゃくそんごしょうそ)
久貞公から孫が家督を受け継ぐこと
※大納言様 徳川家基 10代将軍家治の長男。
11代将軍になると思われていたが、18歳で急死。
余談 突然の死について、暗殺、毒殺が語られています。
家基の将軍就任によって失脚を恐れた田沼意次犯行説、
徳川家斉を将軍につかせたい一橋家当主・治済の犯行説と
あるようです。
シーボルトの「日本交通貿易史」には家基がオランダから
輸入したペルシャ馬に騎乗中、落馬事故を起こして死亡し
たと書いてあるそうです。(ウィキペディア)
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