イメージ 1

     緒方町井上 大福寺門前「萬霊地蔵塔」

6年前の原尻奥之丞の「直訴」事件 首謀者処刑

宝暦九年(1759)己卯 久貞公 御年三十六歳

一、正月二日、年始御献上例ノ如シ、御使者古田谷也

一、  四日、老職中川平右衛門長堪病死

一、二月十四日、右同人嫡子源之進長古へ家督相違ナク、老職仰セ付ラル

一、三月二日、岡城御発駕、中国路御通行、二十二日、伏見御着、同

       所御勤、二十三日、京都御勤

一、四月八日、江戸御着          

一、 十三日、御参勤御礼、御献上例ノ如シ

一、 十六日、桜田組御防仰セ蒙ラル

           御相役   永井飛騨守直珍様

                 伊東豊後守祐福様

                 秋田東太郎干季様

一、五月二日、端午御献上例ノ如シ

一、二十九日、上白在村三ノ宮境内ニ御石碑建サセラル

※5月22日、23日 「直訴」事件 首謀者の処刑

 御年譜には記載されていませんが、6年近く牢に入れられていた

首謀者・原尻奥之丞以下17、8人が処刑されています。

長い期間牢に入れていたのは、裁判に時間がかかったのかも

知れませんが、領内百姓への見せしめだったようです。

※大福寺門前に、「萬霊地蔵塔」といわれる塔が現存している。

この供養塔が建てられたのは、原尻が処刑されて4カ月後の9月である。

地区での言い伝えのとおり、原尻を義民として讃えるための供養塔であろう。

                            (緒方町誌)