
久貞公の3男 鷹之丞誕生 のち水野家を継ぐ
宝歴八年(1758)戊寅 久貞公 御年三十五歳
一、正月二日、年始御礼、御献上・御拝領例ノ如シ
一、 三日、御献上例ノ如シ
一、四月朔日、江戸ニ於テ御男子御誕生
公儀ニハ於充様ノ次ニ御書出
御名鷹之丞(後水野家ヲ嗣セラル)ト
称シ奉ル、御母ハ御侍女小池氏
一、 十九日、御在所へノ御暇仰セ蒙ラル、御拝領例ノ如シ
一、五月二日、端午御献上例ノ如シ
一、二十三日、江戸御発駕、御仮養子柳沢大助様
一、六月七日、伏見御着、中国路御通行
一、二十二日、暑中御献上例ノ如シ
※御名鷹之丞(後水野家ヲ嗣セラル)
後の水野勝剛(みずの かつかた)、
宝暦8年(1758年)4月1日、豊後岡藩主・中川久貞の3男として
江戸芝の新橋岡藩藩邸で生まれる。初名は中川久徴(あき)。
天明3年(1783年)、第5代結城藩主の水野勝起が死去したため、
その養嗣子として家督を継ぎ、下総結城藩の第6代藩主。水野宗家11代。
※水野勝愛(みずの かつざね)
父・中川久徴が水野家の養子になる前、安永9年(1780年)8月26日、
中川久徴の長男として江戸八丁堀の岡藩藩邸で生まれている。
父が水野家の養子になったことから、連れ子として結城藩に移った。
後、父の跡を継ぎ下総結城藩の第7代藩主。水野宗家12代。
※久貞の父・松平信祝(のぶとき)は松平伊豆守の家系を継ぎ、老中も
勤め、縁戚も華やかであった為の養子縁組と思われます。
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