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            中央 熊沢蕃山碑

百姓困窮 直訴首謀者 原尻奥之丞 捕えられる

宝暦四年(1754)甲戊 久貞公 御年三十一歳

一、六月二日、暑中御献上例ノ如シ

一、 十二日、御在着御礼、

御使者葛巻園右衛門常重差上ラル、

御献上例ノ如シ

一、八月朔日、御献上例ノ如シ、御使者熊田蔵人良資

一、九月二目、重陽御献上例ノ如シ

一、十一月二十五日、寒中御献上例ノ如シ

一、十二月二日、大納言様御婚礼御祝儀御献上、

       公方様へ二種金五百匹

       大納言様へ右同

       御簾中様へ一種金五首匹

一、二十一日、歳暮御献上例ノ如シ、

御簾中様へ白銀壱枚 此節ヨリ始ル

※緒方郷の農民たちが気勢を上げ、押し寄せた片ケ瀬、狐松原には、

家老中川求馬、同中川隼人、郡奉行秋岡左源太、同和田忠左衛門、

柳井幸七が出張って来た。これら役人たちは説得に努め、退散しな

い場合は強硬手段に出ると、示威的な申し渡しによって農民たちを

説き伏せた。農民たちは説得により、ひとまず渋々と解散した。

 しかし村々では、「検見」という公約が得られず収まりきれなかった

農民が寄り合い、督詞連判状が作られるなど不穏を動きが見られた。

これを藩に悟られ、「村中始他の村々迄勧廻り、悪事組立、徒党致し侯」

として罪に問われた。藩は井上組井上村の原尻奥之丞を首謀者として、

奥之丞以下17、8人を捕らえた。(緒方町誌)