イメージ 1

この年 岡の記録なし  台風 岡を襲う 被害大(御年譜附録)

元文六年(1741)辛酉 久慶公 御年三十四歳

一、正月二日、年始御礼、御献上・御拝領例ノ如シ

一、三月三日、年号改元

寛保元年

一、六月十七日、久忠公大手組御防中御持病ノ節、

御名代御出馬ノ御願済セラル

一、八月朔日、御献上例ノ如シ

一、二十一日、去ル七日、公方様右大臣御転任、

大納言様右大将御兼任、

去ル十二日、竹千代様大納言御任官

且 御元服ニ付、

御三方様へ御献上御太刀馬代

一、二十五日、右御祝儀御能コレアリ御見物、

紅葉ノ間ニ於テ御料理御頂戴

※この御年譜は何故か元文6年、寛保元年(17419月から

12月の記録がありません。

また、7月22日の岡 風雨洪水が載せられていませんので、

付録より転載します。

※(御年譜附録)寛保元年辛酉

一、七月二十二日、岡風雨洪水ノ條

 附録 記録ニ、公儀御届

  一、田畠八反九畝程

       内   田八反弐畝程   畠七畝程

  一、田畠壱町七反壱畝程 当荒

       内   田壱町壱反七畝  畠五反四畝程

  一、落井手    百六拾口

  一、吹潰宮    壱ケ所

  一、転家     七百九拾六軒

  一、落橋     五ケ所

  一、庄シ打レ死人 五人内  男三人 女弐人

  一、同死牛    壱疋

※転家  大きい石などの土台の上に家を建てて、

     石と柱を固定する方法が無かったために、台風など風の

強いときは転家(ころびや)が多くなったと思われます。