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若殿久慶公 桜田門 防火警備 久忠公の名代御出馬

元文三年(1738)戊午 久忠公 御年四十一歳

一、正月二日、年始御礼、御献上・御拝領例ノ如シ

       竹千代様へ御献上右同

一、  三日、御献上例ノ如シ

一、二月朔日、御厄入ニ付、御祝儀御献上詳ナラス

一、 十七日、桜田組御防中御名代、若殿様御出馬ノ御願済セラル

一、三月二十三日、老職隠居中川睡也 伊織更名 相政病死

一、四月十一日、以前ヨリ御預り人ノ有無御書附差出サルヘク旨

御達ニ付、御書出

※竹千代様  8代将軍吉宗の孫、9代将軍になる家重の子

       10代将軍になる徳川家治

※中川睡也 伊織更名 相政  中川(古田)伊織相政 千5百石石

       中川(古田)主水重員の名跡を継ぐ

※(岡藩で)以前ヨリ御預り人ノ有無・・。

◯ 寛永19年(1642) 久盛公 49

① 小林彦五郎    

  小林彦五郎事、其方へ被成御預候、然者拾五人扶持被出之、

領内仁可被差置侯、恐々謹言  阿部対馬守重次花押

   ※三島代官所の8代代官に小林彦五郎

在任期間、寛永13年~19年とあります。(三島市資料)

三島代官任期終了と御年譜の記載年が一致しているのは、

代官の役を解かれて、すぐ、岡に流されたと思われます。

何か、役目上の落ち度があって、岡藩に預けられたのではないかと

思われます。

慶安4年(1651年)家綱が4代将軍宣下で赦免されています。

   ※それを受けて、老中より、彦五郎に江戸に来るよう指示があり、

    久盛公の御座船に乗って、三佐から出港しています。

※足利市法玄寺境内の小林家の墓地内に足利の代官であった

小林十郎左衛門尉・彦五郎父子の墓石があります。

前者には承応4年(1655)、後者には万治元年(1658)の年号が

刻まれています。(足利市資料)

2017312日、2017418日、19日のブログ参照

※預人のあと3名は、紙面の都合で次回。