
山際をくり抜いた井手
久忠公の病気 8月1日に多いのは何故?
享保十二年(1727年)丁未 久忠公 御年三十歳
一、八月朔日、御献上例ノ如シ、
御病気ニ付、御使者中川丹蔵広安
一、九月三日、重陽御献上例ノ如シ
一、十九日、御在所ヘノ御暇仰セ蒙ラル、
御拝領例ノ如シ、
大納言様ヨリ縮緬三巻
一、十月六日、江戸御発駕、
二十日、京都御勤、一條様へ御出、
伏見御着、御勤、
二十一日、大坂御着、二十二日、御勤、
二十三日、同所御乗船
一、十一月四日、三佐御着、
七日、御帰城
一、二十六日、寒中御献上例ノ如シ
一、十二月七日、御在着御礼、
御使者安西政次郎宗治差上ラル、
御献上例ノ如シ
一、日詳ナラス 歳暮御献上例ノ如シ
※御病気 御年譜には症状についての記載がありません。
しかし、8月朔日(1日)に御病気ニ付、・・。
と云う記載が下記の年の8月朔日に毎回あるのは何を
意味するのでしょうか。
①享保8年 ②享保12年 ③享保15年
④元文2年 ⑤元文4年 ⑥寛保元年
※大納言様 将軍吉宗の長男・次期将軍徳川家重
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